連合軍最高司令官総司令部(GHQ)公衆衛生福祉局長サムズ氏の報告によると、戦時下の日本ではコカを栽培していた。
これは事実で、実際に沖縄でかなり大量に製造していたようだ。(沖縄武田薬草園跡 平成22年4月28日放送 NHK、沖縄で栽培されていたコカ mixiみんなの日記)
コカというとペルーやボリビアのアンデスの高地でしか育たないと思っていたが、沖縄でも育つということに驚いた。それ以前に日本でコカインが生産されるというようなことが実際にあったということに驚く。
栽培は沖縄武田薬草園(名護市)が引き受け、精製されたコカインは傷病兵の手当に使われたという。生産量は終戦にかけて、以前の30倍近くまで増えたという。
栽培地は米軍が沖縄に進駐する前に閉鎖された。
コカインは鎮痛剤として、モルヒネやヘロインなどのアヘン系鎮痛剤と並んで、人類に利用されてきた。精神的依存性が強いことから利用度は低くなっていったが、鎮痛剤としての効果は高く、目の手術などにも利用されてきた。
沖縄武田薬草園は現在の武田薬品の前身で、この時期にかなりの利益をあげたのではないかと言われている。
昭和28年の麻薬法改正にあたり、日本から麻薬を輸出できるよう法を改正すべきという提案が内閣からなされたが、生産と製品化の能力はあったということになる。
国民を教育しようとするのなら、まず自分たちの歴史的経験を正直に話すところから始めるべきだ。
戦争と麻薬、敵国人を弱らせるための武器としての麻薬、戦争を遂行するための軍資金と麻薬、戦争で利益をあげる製薬会社と麻薬。戦争と麻薬が結びついたら、いいイメージはまったくない。
なおペルーやボリビアでは現地のインディオの人たちの生活必需品であり、生計のための重要な作物で、精製しない生の葉はほとんど依存性がない。コカインとして精製すると精神的依存性が強くなる。