さて、大麻取締法が制定されたのは1948年だが、当時はまだ占領下で、この時点では確かにGHQに押しつけられたといえるかもしれない。
しかし日本政府は昭和28年、大麻取締法の一部を下記のように改正する法律案(内閣提出)を参議院に提出している。昭和28年(1953年)はサンフランシスコ講和条約により、すでに日本は独立している。
(国務大臣 山懸勝見 答弁部分引用)
1.現行法におきましては麻薬の輸出は一切禁止されているのでありますが、新たに麻薬輸出業者を設けまして、これが厚生大臣の許可を受けて麻薬を輸出する途を開くとともに、現行の家庭麻薬を麻薬の範囲から除外いたし、広く国民医療に供しうるようにいたさんとする等のものでありますが、、、、
2.更に現行制度におきましては、麻薬取扱者に対しまして帳簿の記載、報告の提出等煩雑な手続きを要求いたしている点も少なくありませんので、この際これらの義務を必要最小限度に軽減いたしまして、医療及び学術研究のために使用する麻薬の入手を容易にすると共に、これらの用途につきましては、成るべく広範 囲の使用を認め、国民医療および学術研究の万全を期したいと考える次第であります。
1.では、いったいどんな麻薬を輸出しようしていたのか、そんな麻薬が日本で製造されていたのかにまず興味が。やはりサムズが報告するように、輸出できるほどの大量のケシを国内で栽培していたのだろうか。ここで「家庭麻薬」という言葉がでているが、これはおそらく「大麻」「大麻チンキ」のことだろう。やは り大麻にはそれほど有害性はなく、家庭でもコントロールできる程度のものという認識が一般的だったといえる。
2.では、麻薬類の医療利用と研究に対する配慮がみられる。このとき、大麻の医療利用もほかの麻薬類と同じように検討されていたら、4条の施用の例外なしの禁止は削除されていたかもしれない。
この法案は内閣から提案されたものなので、議員が賛成すれば現実化するものだった。
この修正でそれまで規制されていた大麻の種が規制からはずされたが、医療使用や全体的な利用については否決された。産業大麻が免許制で稼働しているのだから面倒な法改正は必要ないということだったようだ。
のであるから、アメリカGHQというより、日本政府が悪いんじゃないかと考えるわけです。
さらに1948年当時は「大麻から製造された医薬品を施用し、または施用のために交付すること」の禁止だったのが、1963年には4条3項として「大麻から製造された医薬品の施用を受けること」も追加されている。
ここまで見てくれば、厚労省の犯罪性は否定できず、決してGHQのせいばかりとは言えない。