GHQ(アメリカ)が日本に求めたのは、麻薬類の管理と報告、在庫の凍結などである。
1945年10月に出されたこのメモランダムが日本の現状の大麻禁止の発端になったのは確かだが、占領開始2ヶ月という混乱時に、おおあわてでこのメモランダムが出された本当の理由は、別のところにある。
上記画像(計5枚)は連合軍最高司令官総司令部公衆衛生福祉局長サムズが書いたものだ。
=====(部分抜粋)
日本人が麻薬を使ってきたこと、日本が占領した地域で麻薬の使用を奨励してきたことは非難さるべきであった、、、アヘン中毒に罹らせたり、あるいは、アヘン製造を奨励することによって、広範な人々を支配することが可能であった。また、日本人は麻薬治療センターの名の下に、これらの全地域に麻薬分配センターを設置したが、これは実際には麻薬中毒の拡大を奨励することになった、、、かつて国際連盟の一員であった日本政府は監督機関による麻薬の製造制限に関する条項に署名していた、、、しかし実際の生産量のわずか六分の一しか報告していなかった。ヘロインは日本と朝鮮から満州へ大量に船で輸送され、その量は全世界の必要量を満たして余りあると推定された、、、われわれは日本全国の洞窟、医療品倉庫、陸海軍病院、その他の軍・民間関係および産業施設に大量にあったヘロインを押収、破棄した。しかしこの措置がとられる前にこのヘロインのうちのいくらかは、合衆国やその他の国々の闇市場に出回ってしまっていた。
麻薬配分の実施と取り締まりプログラムが数年かかってできあがったが、この取り締まりプログラムによって、GHQの監視の下で、未加工あるいは半加工の在庫品を完成品に仕上げられ、将来、日本人が合法的に医療用として使用することが可能となった。このようにして用意周到な取り締まり計画はいよいよスタートしたのであった。
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この文章の内容のすべてが正確かどうかは確認できないが、GHQの当時の考え方が反映されているのは疑いない。敗戦国日本(の旧軍部や反米地下組織や共産主義者)が在庫の麻薬を売いさばいたり、製造、輸出して金にすることが恐ろしかったのだ。竹槍精神の日本人が怖かったわけでも、薄暗い神社が怖かったわけでもない。金の力で占領政策に反抗することが怖かったのだ。
しかし日本は満州やアジアで本当に麻薬を売り、戦費に当てていたのだろうか。その関連本はたくさんでてるのでここではあげない。
このメモランダムでは大麻とアヘンやコカインは麻薬として同様に扱われており、逆に言えば、大麻の医療用途の道は、アヘンやコカインのように残されていた。
しかし、日本政府は1948年の大麻取締法で、大麻の施用を禁じるという条項を作ってしまったのである。このように明文化したのは日本だけで、欧米で医療効果がないとして厳しく管理している国でも、臨床試験を例外的に認めたり、人道的使用は認められている。
日本が医療大麻まで禁止したのは、1.民間薬、漢方薬としての大麻の医療効果の過小評価。 2.禁止して半世紀後にこれだけ重要になると想定していなかった。3.産業大麻を免許制で残す交渉のなかで、ほかの使用は切り捨てた。
というところだろう。